子供の頃から、当たり前の様に、晴れの日が天気の良い日だと思って生きてきました。
そういう風に教えられたことを素直に受け入れてきました。
(八代亜紀さんが「雨雨降れ降れもっと降れ・・・」と歌うのを聞き、なんでそんなに悪いもの降らせたいの?という疑問も持ちつつ。笑。)
確かに、晴れた日は過ごしやすい天気ではありますが、雨の音が心地よい日だって、曇りの方が心地よい日だってありますよね。
雨が降ってみて、屋根がある事が有難いと思えたりと、どんな天気であっても、心地よさをどこかに感じて生きています。
雨が降って嫌かもしれないけれど、水が欲しかった大地は喜びます。
天気の良し悪しは人の都合でジャッジされがち。
曇天が長く続く地域に住んだ時、気分も暗くなるし嫌な天気だなというところばかり見ていました。
真っ暗闇にいるわけでも無いのに、晴れない事を鬱陶しく思い、ちゃんと昼も夜もあるのに、曇っていると太陽が居ない様な気持ちになったり。
在るものを見れなくなってしまうのは、おかしな話ですね。
あの頃の私に教えてあげたい。
太陽は見えなくても在る。酸素は常に供給されている。
という事を。笑
天気が良いか悪いかに例えてみましたが、
この様に物事をジャッジしている内面に気づいて、ジャッジをやめて見ると随分と世界が変わります。
無理して前向きに考えるのではなく、ただ、思考から距離を置いて、ただ在るものの存在をただ感じる。
これまでダメだと思って来た事がダメではないと思えたり、乗り越えるのが大変だと思っていた試練も、単なる試練だと思えたり。
不思議なもので、外側は何一つ変わって居ないのに、自分の内面が変わっているのです。
思考に巻き込まれている事に気がついたら、立ち止まって空を見ます。
ああ、空がある。
そう感じるだけでも、そう感じている間だけは思考が止まってくれます。
私は低気圧になると体調を崩しがちなのですが、天気のせいにするというネガティブな思考回路を使わないで
ただ、体調を労わるだけにしています。
体調不良の原因探しほど疲れるものはないですし、その分頭を休めてあげた方が回復力も高い様です。
ジャッジしない様に気をつけていると、生きやすくなる様です。
誰のせいでもない、何のせいでもない世界はなんて平和なのでしょう。
皆さんも、そんな世界を増やしてみてください。
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