魂(スピリチュアル)

私は私の名前を好きになれなれず、別の名前でも嫌だった。

自分の名前を改名するというニュースを見て、我を思っていました。

私は、物心ついた頃から、自分の名前がそんなに好きではありませんでした。

何故なのかという決定的な理由はありませんが、なんとなく嫌なのです。

私の本名は「カヨ」です。

一般的にも割と多い名前だと思います。

どういう訳か、私は名前を呼ばれるのに抵抗があり、

バイトなどをして名札をつけると、居ても立っても居られないくらい「やめてくれ!」という感情になりました。

「カヨ」ではなく「カヨコ」さんが「カヨちゃん」と呼ばれることには憧れがあり、

あまりありませんが、「カヨ」が「カヨコ」と呼ばれるのには抵抗があり、

自分でも何故だかわからないけれど、とにかく名前に違和感を抱いていました。

じゃあ、せめてハンドルネームだけでもガラリと名前変えちゃえば?

漢字を変えてみたら?・・・というと、

それはそれでまた違和感があり、

やっぱり、私は私の名前を名乗らないと私らしくないのだけれど、だけどなんか微妙。

長い間ずっとそんな風に思っていました。

自分で選んで生まれてきた。

選んだのには理由がある。

自分の名前を愛することができないと、出世できない。

わかる。

きっと本当にそうだと思う。

だけど、どうしたら自分が納得するのかわからない。

私のことを私だと名乗るのが嫌なのではなく、

私の名前が「カヨ」であることを主張するのが嫌でした。

かといって「カヨ」以外の名前も嫌。

厄介な感覚です。

カヨン三世
カヨン三世
そーかよ!ですよ

おかげで、日常的にも名前を呼ばれるようなシーンを作らないようにと無意識にそう動いてしまっていたり、

人混みや広いところで大きな声で名前を呼ばれると、ワキ汗ダラダラになっていました。

周りからどう見られているのか気にしすぎていた時期の名残もあるかもしれませんが

色々と気づいて成長してきたつもりのつい最近まで、この感覚はありました。

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数ヶ月前のお話ですが、瞑想を終えたある時に

私は私だけれど私ではない

そんなノンデュアリティを感じた瞬間がありました。

なるほど「カヨ」は「カヨ」だけど「カヨ」じゃないわけね。

そうじゃない私、つまりは潜在意識がちょっと苦しんでいたようです。

瞑想を続けていると、この様な気づきが重なり、ある時ふと腑に落ちる何かに出会えるみたいです。

自分を知るには、自分の内なる呼吸と向き合うことなんですね。

瞑想したら毎回何かに気付けるかといったらそうでもないのですが、

ある日深く瞑想に落ちることができると、生きているというそれだけの事が幸せだと分かったり、

無償で酸素を提供してくれる宇宙(地球)がとてつもなく偉大で有り難く思えたり。

何故そんなに悩んでいたのか不思議なくらい、私の名前は私の中でニュートラルな存在になりました。

ああ、なるほど、私は自分で名前選んだな。

名前と魂の間には何か約束事(冒険プラン)があったみたいです。

改名する人も、そんな風に魂と約束を交わして、名前を変えることになっていたのかもしれませんね。

人生の大冒険ってワクワクします。

いつどんな形でそのプランが降りてくるのか、プランがある事を思うと、めちゃくちゃ楽しみになりませんか?

それでは良い1日を!



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カヨン三世
沖縄移住2年目ブロガー。 ルパンに恋する80年生まれ。 6年間(2008-2014)の海外放浪を経て自由なところに本当の自分がいることに気がつく。 「自分を生きる大冒険」をテーマに “心と体と魂” を癒すライフスタイルを沖縄から発信しています。