普通にはあまりない様なお話をすると、なかなか信じてもらえなかったり、あり得っこないと馬鹿にされたり。
その様な対応には慣れておりますが(笑)
自分で体験した揺るがない事実は、不思議なことであろうが自分の中では真実でしかありません。
私は旅行が好きで、あちこち出かけますが、今まで訪れた中でも、
マチュピチュの遺跡、イースター島のモアイ、月の谷の丸い石は不思議そのものでした。
:マチュピチュ(ペルー)
:イースター島(チリ)
:月の谷(アルゼンチン)
この様に、人工建造物(?)かの様な造形を残すものは、たとえ不思議であっても信じてもらいやすく、もうすでに多くの人が存在を認めていますよね。
一方で、ふと起きたこと、ふと見たことなど、原型を留める事のないお話は、信じてもらいにくい傾向にある様です。
例えば・・・
UFOに会いに行く旅で訪れたアダムス山(北米)ではUFOがお目見え。
写真左上の拡大図です。
アルゼンチンに暮らしていた時に明け方の空を見ていたら、何かの気配を感じたと共にお目見えしたUFO。
写真右中央の拡大図です。
石垣島を旅した時、友達とカフェでお喋りしていたら、猛烈に感じるものがあって空を写真撮影したところ、やっぱり会えたUFO。
やや左上空の拡大図です。
カードリーディングをしようとカードの箱を開けたら羽が入っていたお話。
私は衣類も寝具も羽毛製品など持ち合わせていないですし、カードは家でしか扱っていないので「はて?」となりましたが
エンジェル系のカードなので、天使の羽なのかな〜と、嬉しくなって大切に保管してあります。
ちなみに、無いものが物質として現れたのに気がついたのはこれが初めてです。
あるヒーラーさんから、遠隔ヒーリングを受ける直前にスマホを触っていたらインカメラを作動させてしまったついでに自撮りしたら、虹がかかっていたお話。
こうして振り返ると、本当に不思議なことが起きたものです。
(ここには敢えて書きませんが、現実として全然嬉しくない不思議体験も多々経験しています。)
不思議と、不思議なことが起きているときは心は落ち着いており「あらまぁ・・・」くらいの感覚なのです。
不思議な事だって起きて当たり前なのだとDNAは知っているのかもしれませんね。
せかせかしている時は全く気が付かないでスルーしてしまう様なことなのですが、センサーを研ぎ澄ませる余裕が持てると、この様なことに気が付きやすくなる様です。
きっと、想像以上に世の中に不思議は溢れているのだと思いますよ。
だからこそ、ご縁や奇跡と言葉に表す様な現象に遭遇することがあるのでしょうね。
私の周りには、似た様な不思議体験をされる友達が何人かおり、時々そのお話で盛り上がったりするのですが、
その時のみんなが、それぞれ心を解放しているので、とても気持ちが楽になるひと時でもあります。
どんな時でもそんな風に心を解放した状態で在ることが出来たら、なんて素敵なことでしょう。
まるで、ネバーランドへ飛んでいけそうな軽やかさは、童心よりも前の心を思い出すかの様で懐かしくもあります。
こうやって、本当の自分を思い出していくのだとしたら、不思議な体験を受け入れる事の重要性が分かるのではないでしょうか。
たまには、俗に言われる一般常識から距離を置いて、ご自身の尺度で世界を見てみると、そこに居心地の良さが発見できるかもしれませんね。
それではご機嫌な一日を!
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