幼少期からファンタジーやメルヘンが好きで夢見る少女をやってきました。笑。
大人になると、見えない世界を語ること≒馬鹿らしいことの様に扱われはじめ、なるべく口を閉ざすようにしていました。
実際、見えない世界、見えない存在を確信を持って信じてきたかといえば、完全にイエスとも言えず・・・
周りと同じ様にしたいから、周りに馬鹿にされたくないから、
信じない私・・・というのを随所に装いながら、誤魔化して過ごしていた様です。
そうやって流れてみたり、立ち止まってみたりしてきました。
約一年ほど前、父が他界しました。
それ以前に両親方の祖父母も亡くしているので、血縁関係の人の死は初めてではありませんでした。
父の死に関しては、覚悟は決まっていたし、受け入れていたことなのに
葬儀を終えてから数ヶ月、父はどこに行ってしまったのだろう?という漠然とした疑問がありました。
骨はお墓に在る。思い出は心に。記憶は頭や体に。
寂しいとか、会いたいとかではなく、どこへ行っちゃったの?という疑問。
ただ、もう一つの何かが、どこかに在る様な気がして、空を見上げては「???」となっていました。
“ もう一つの何か ” は「魂」であり「存在感」である・・・とでも言えましょうか。
思い出でも残してくれたモノでもなく、遺骨でもない。
だけどどういう訳か、どこかにいつも父が居る。
側なのか、中なのか、辛うじて感じられる場所なのか・・・
父さん、あなたはどこに居るんですか?
そんなことを感じながら幾月か過ぎ、ようやく結論に触れたかなと思ったのがつい最近です。
父は見えない存在となった。
私は神様を信じて居たのに、何故、父の見えない存在に気が付かなかったのでしょうね。
少なくとも、私のDNAには父からの遺伝情報も組み込まれて居るわけで、もうすでにその時点で父は私の中に居るのに。
もっと日常的に、側に在ってくれる「見えない存在」を味方にできるのではないかと気がついた次第です。
肉親である父のことでこれだけ感じるものがあるのだから
古来から受け継がれてきたDNAには、きっと想像を超えた見えない情報が記憶されて居ることでしょう。
神様の遺伝情報も組み込まれて居るかも知れませんね。
遺伝子を辿ると、地球の源、宇宙の源とも繋がって居るのは間違い無いことなのでしょう。
どんな時も、こうして私たちは守られて居るのでしょう。
今日も愛を感じる時間を多く過ごせます様に。
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