私はこれまでに、ベジタリアン(ビーガン)をやってみたり、ミニマリストをやってみたり、など、枠(肩書き)を用意して色々とやってきました。
そうしていた理由は、スタイルのある暮らしが格好良く見てたことと、無駄を省いてもっと自由になりたかったからです。
世の中のベジタリアンやミニマリストを見ていると、なんだかオシャレで、芯があってかっこいいなぁと、私にはその様に映りました。
しかし、真似をしてみると、ベジタリアンだったらこうあるべき、ミニマリストだったらこうあるべき・・・など、あるべき思考に苛まれてしまい、結局自分を自分で苦しめる様な生活になってしまいました。
それは、頭を使って考えていたからであり、自分の感性を信じる勇気が無かったからでもありました。
窮屈さにうんざりし、ようやく気づきを得たわけですが、今度は『枠にとらわれないという枠』を作り出してしまいました。笑。
枠に囚われない生き方│なんとなく生きることかもしれない。
引き寄せの法則について本を読んだ時のこと。
感化されやすい私は、何かを引き寄せたくて仕方なくなり、あれこれとまた頭を使い始めました。
すると、引き寄せたくないことばかりが思考に現れてしまう様になりました。
引き寄せの法則的に言ったら、引き寄せたくない現実を引き寄せる準備万端な状況な訳です。苦笑。
人って誰しもそう言うところがあると思う。
〇〇のことを考えるなと言われれば、まず〇〇を考える。
そういう風にできている。
そういう風にできているのだから、敢えて思考をコントロールするよりも、感覚任せにふんわり生きている方がよっぽど前向きなものを引き寄せるのでしょう。
欲や焦りでアファメーションを頑張ってしまったり、アファメーションのやり方をネット検索したり、
私がそうである様に、同じ様な方も少なくないのではないでしょうか。
なんとなく生きることは、決して怠惰なことではなく、自分自身の感覚、感性を信じているからこそできる選択です。
頭であれこれ考えなくたって、自分の中のどこかしらに、自分が生きやすい核心があると信じているからできることなんです。
情報過多の社会に居ると、様々な人物像を知る機会も多い。
そんな中で人との違いに焦りを見出してしまったり、自分がまだまだなんだと思ってしまったり。
すると、思考を働かせて、どうにかしようと思ってしまって、スピリチュアルなことを学びたくなったり・・・と、外側に解決策を探しに行ってしまう。
私は私でいいの!という軸が揺らぎやすく、折れやすい。
周囲の刺激が多いから。
そんなご時世になっているのだから、揺らいだ自分もきちんと認めて、なるべくなんとなく生きようかなと。
枠に囚われないとかどうこう考えるよりも、本当の自分が何を感じて何を求めているのかに従う。
それは人それぞれ。
つまり、それこそが枠に囚われていない状態なのでした。
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