料理が好きだったはずなのに、料理が面倒臭い。
食べなきゃと思ってテキトーに作ると、ほんと、美味しく無い。
買って食べても「ふーん」という感じ。
帰国してから私は割とこんな感じで、覇気のない日常がちょっと辛かった。
海外では、海外には無いけれども食べたいものが頭に浮かんだり、珍しい食材を見つけてはどう料理するのかと実験してみたり。
飽きない料理環境だったし、失敗や成功もエンタメの様に楽しく、笑顔で色々やっていた覚えがあります。
思えばそこには、日本で今、私が意識するほど「あれを食べてはダメ、これを食べたほうがいい」といったモノサシがありませんでした。
日本語で仕入れたその情報に順応するには環境が違いすぎて無理だったから。
情報断食を試みる│何を食べたらいいのか分からなくなってみて・・・
例えば、調味料は本物を!というならば、日本だったらネット通販ですぐ手に入るのだけれど、海外では(場所にもよりますが)、フェイクしか無かったり、フェイクですら貴重だったり。
郷に行ったら郷に従えとは言えども、遺伝子が日本人だし、生まれも育ちもおふくろの味も日本仕込みだし・・・という私には、100パーセントご当地の食生活に順応するにはストレスを感じたので、そこにあるものでできる限りの自分好みを創り出すことが食へのこだわりだったのかも。
(日本嫌だとか言いながら、結局日本が好きで日本をやってないとやっていけない私。爆笑)
さて日本。
いいなぁと思っていた調味料、食材、サプリなどはすぐ手に入る。
(もちろん、お金を出せばですが)
日本ではメジャーではない海外のレシピを再現しようと思えば材料が手に入る。苦笑。
ほんと、日本って何でも手に入る!
この便利さが当たり前になってしまい、面白みが減りました。
何でも手に入ることをいいことに、良いもの探しに耽ってみたら、何が良いのだかさっぱり分からなくなり、思考停止。
これじゃ、料理意欲も湧きませんね。苦笑。
そして、あれがいいこれはダメの情報がありふれすぎて、何を選んだらいいか分からなくなったことで
自信持って食べられない。
美味しいと喜んで食べられない。
恐る恐る食べてしまう。
食べることって本当に大切なことなのに、どんどん蔑ろになってゆく、食べることの内側事情。
情報に流されて、自分の世界を見失ってしまっている現象なのだと思います。
いっそのことブレサリアン(呼吸だけで生きる人)になってしまったら楽なのに!と思いますが、私はまだそのステージには居ない様で、お腹が空けば何か食べたいのです。
(仙人への道は遠い・・・)
(いや、もうとっくにヤバかったでしょうよ・・・)
料理が面倒臭いと思ってしまった時点で、気づいたら良かったのですが、気力も低迷する故、気が付けなかった。
実は、料理が面倒臭い私って、私らしくないんです。
徹夜して弁当作って、さあ、ピクニックだー!とか言っちゃう私の方が私らしいし、寝ていなかろうがそんな私の方が元気なんです。
・・・というのを思い出し、色々と謎が解けてきました。
食に対して、計量的思考になっていましたね。。。
日々にイマイチ活力が湧かなかったのは、この食事に原因があったのかもしれません。
この食事の原因は、情報過多にあったのかもしれません。
情報収集ばかりしていたのは、健康が不安だったからかもしれません。
不安だったのは、自分を信じるということを忘れかけてしまったから。
(ここだけ言い切る。笑)
というわけで、私は、情報断食することにしました!
そっちですか?!・・・と突っ込みたくなりそうですが。笑。
情報に囚われ過ぎ、栄養だの効能だのいちいち気になってしまい、美味しいものを素直に美味しいと言えなくなってしまう。
これが、食事をしていて毎回辛かったポイントでした。
日本には豊かな四季があり、食材には旬がある。
私には、感覚があり、好みがあり、体質がある。
このバロメーターに従うだけでも、達成感ありそうではないか!
常識(情報)に裏切られることはあっても、自然に裏切られることは無いでしょう。
冒険は続く。
冒頭の写真は美瑛で訪れた『Café BIEI -good day- カフェ美瑛~ランドマンたちの空庭。』さんのランチ。
食材が元気で、丁寧に作られていて、見た目も素敵で、ほっこりしました。
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